頭の時間、腹の時間

保育所等訪問支援や日常の中で、「発達障害」と呼ばれる子どもたちの生活に日々、触れています。
その中で、「~ができない」など、いわゆる定型発達の側からみると、「問題行動」と呼ばれる事象を
共有することがあります。
しかし、この「問題行動」は定型発達側の頭の中での基準をもとにして考えられている。いわゆる
「頭の時間」だと思います。「頭の時間」という語は、オリジナルの用語ですが、これはいわゆる
「一般社会の共通の価値観」や「学校教育等で教えられてきたこと」ととらえています。

この「頭の時間」には限界があります。
なぜなら、不自然な状態だからです。
不自然なことを続けていれば、限界に達します。それを社会の一定の価値観でごまかし続けているのが
現代社会のような気がします。

それに対して警告をしているのが、「発達障害」と呼ばれる人たちのような気がします。
不自然なものであふれている社会に対し、「感覚過敏」等と呼ばれる、鋭いセンサーで事象を感じ
発信しているような気もします。

「腹の時間」とは、寝て、食べて、活動して(これには意図や価値観のない活動です)、排泄するという
時間です。
この「自然な時間」を無視して、「頭の時間」を優先し、それを「良し」としているのが、今の世界のような
気がします。そのような「一定の価値観」が必要なんですね。それがないと不安になっています。
それは、「発達障害」と呼ばれる人が「見通しが立たないと不安になる」と似ていますね。

もともと、身体の「腹の時間」は共通し、そこからどれだけ分化しているかの違いのような気もします。
分化するとは、「身体と離れる」ことであり、「個」があると錯覚する状態です。

「何かできること」が優先されますが、果たして「何かできること」が本当に大事なのか。
そもそも、私たちは「何かできること」を望んでいるのか。
「頭の時間」での錯覚では望んでいても、「腹の時間」では、「お腹がすいたら食べる」という
それだけのことのような気がします。

改めて、日々、「発達障害」と呼ばれる子どもたちと接していて感じたことです。

豊岡短期大学通信教育部こども学科 講師
清水友康